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2006年01月25日:川端康成と高円寺

川端康成が高円寺にやってきたのは、大正15年(1926年)1月、伊豆の踊子を文芸時代に連載しはじめた翌年の昭和2年(1927年)4月、28歳の時でした。高円寺に引っ越してきた当時の川端康成は、机さえなく、稿料代りに貰った桂の碁盤を机代りに使っていたそうです。

そんな川端康成に机を送ったのが、横光利一(大正12年菊池寛の推薦で発表した『日輪』が鬼才とまでいわしめた作家)です。この机については、川端康成自身が『文章』(昭和17、東峰書房)所収の「四つの机」に

「机は今四つある。四つのうちで一番古い花梨の机は、その由緒を裏側に刻みつけて置きたいほど、なつかしい記念物である。つまり、横光利一、池谷信三郎(『橋』)川端康成の三人の作家が、この机から出発したとも言へる、めでたい机である」と記しています。

また「私は高円寺、熱海、大森、上野桜木町と移り住む数年の間、この机で書いた。『文藝時代』の頃から『浅草紅団』の頃までである。」とも残されていますが、川端康成が高円寺にいたのは、僅か8ヶ月という短い間でした。

川端康成が住んでいたのは、杉並町馬橋二二六番地(現在:JR中央線高円寺駅南口から高円寺ルック商店街を青梅街道に向かって600m位歩き、新高円寺通りの交差点(薬局やさん)を右に曲がり、少し歩いたあたり)です。

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