阿波踊りからライブハウス、古着屋まで。中央線文化の集積地、杉並区高円寺のエリアガイド

高円寺ナビ
2005年12月21日:名前の由来:商店街編「あづま通り商店会」

高円寺駅北口から左正面に位置する「高円寺純情商店街」。その名の由来が、ねじめ正一さんの小説「高円寺純情商店街」から、というのはご存知の方も多いことでしょう。しかし、その他の商店街の名前については「?」という方も多いのではないでしょうか。

そこで今回は第一弾として、高円寺駅北口を背に純情商店街の右側に位置する「あづま通り商店会」の名前の由来をご紹介します。

その昔、現あづま通り商店会は、さまざまな名前を考えていました。そして浮かんだのが、高円寺銀座商店街(現在の高円寺純情商店街です)。商店街は高円寺北口駅を背に、銀座商店街の東にある。それならば…「東(ひがし)の通り」の商店会→「東通り商店会」がよいのではないだろうか。

しかし、それでは…と東の漢字をひらがなにすることになりました。当然、ひがし通りでは味がありません。ならば「あづま通り」はどうだろうか。今ならば「あずま通り」と書くところかもしれませんが…当時「東」は東の国(あづまの国)など、広く「あづま」と使われることが多かったため、商店街の名前は「あづま通り商店会」と決定したそうです。

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2005年10月05日:中野-荻窪間に消えた駅

高円寺駅、阿佐ヶ谷駅、開業の1922年(大正11年)7月から溯ること2年と数ヶ月。当時、中野ー荻窪間に駅がなかったため、中間地点に住んでいた人々は延々と歩いて荻窪駅や中野駅まで行かなければなりませんでした。この不便さに意を決したのが、当時、馬橋村にいた浅賀源太郎氏でした。朝賀氏は鉄道省へ新駅誘致を陳惰し「将来、新駅開設の場合は、中野荻窪間4マイルの中間地点に駅を設置する」との内示を得ることに成功したのです。

ところがその二年後の1920年(大正9年)の春。鉄道省より「新駅用地提供願」の要請に、馬橋村の一部に新駅誘致反対者がでました。会合を重ねてみるものの駅の用地提供はまとまらず、新駅設置の情報は阿佐ヶ谷にいた相沢喜兵衛氏の耳に入ることとなりました。相沢氏は高円寺にいた伊藤兼吉氏等と共に運動を行い、高円寺駅と阿佐ヶ谷駅開設という先週の日記の顛末となるのです。

新駅設置の裏で幻となってしまった馬橋駅ですが…当時の人々の活躍がなければ高円寺駅も阿佐ヶ谷駅なかったかもしれません。中野駅まで歩いていたかと思うと…感謝してもしきれませんね。

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2005年09月28日:高円寺駅と阿佐ヶ谷駅の駅間の距離が短い理由

中野駅から荻窪駅の間にある高円寺駅と阿佐ヶ谷駅。停車するには距離が短いと思ったことはありませんか?実は本当に短く、各駅の距離は、中野駅-1.4kmー高円寺駅-1.2kmー阿佐ヶ谷駅-1.4kmー荻窪駅となっています。ではなぜ、距離は短くなったのでしょうか。

1922年(大正11年)7月。高円寺駅、阿佐ヶ谷駅は、西荻窪とともに開業しました。しかし、当初、地元の新駅設置の要望に対して、鉄道省は「中野駅-荻窪駅間に一駅を設置する」考えを示していたのです。当時まだ高円寺村だった高円寺と阿佐ヶ谷村だった阿佐谷が、双方譲らなかったのは言うまでもありません。駅争奪戦は両者一歩も譲らないまま、白熱戦の様相を呈し、結局二駅開業という結果にこぎつけました。

しかし、駅名は「阿佐ヶ谷駅」と「東阿佐ヶ谷駅」。当然、高円寺村の人々は猛反対し、結果、駅名「高円寺駅」を獲得しました。という話がJRー高円寺駅と阿佐ヶ谷駅開業の歴史です。しかし、なぜそもそも鉄道省は「中野ー荻窪間に一駅設置する」という意向を示したのでしょうか。この新駅設置の裏に隠されたある村の悲しいお話は、また来週お話することにいたしましょう。

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2005年08月17日:五丁目の盆踊り?

高円寺では「阿波踊り」と時を同じくして、あちらこちらで町内会や商店会などのお祭りが開催されます。高円寺の町の由来でもあるお寺「宿鳳山高円寺」のお膝元で行われる「盆踊り」もその一つです。不思議なことにこの宿鳳山高円寺があるのは4丁目なのですが、そこでのお祭りを「五丁目の盆踊り」と呼ぶ人は少なくありません。一体どういうことなのでしょうか。答えは昭和30年の地図にありました。

昭和30年頃の地図
地図をご覧いただくとわかるかと思いますが、高円寺が現在のような「高円寺南1~5丁目」「北1~4丁目」になったのは、昭和40年に行われた「新住居表示」の時です。それ以前の高円寺(現在の高円寺区域)には高円寺1~7丁目と馬橋2~4丁目がありました。新住居表示により、高円寺4~5丁目の全部と高円寺1~3丁目の青梅街道以北・馬橋2~3丁目の東半・高円寺七丁目と馬橋4丁目の各ごく一部をあわせた町域を現行の「高円寺南」とし。高円寺6丁目と7丁目、そして馬橋4丁目をあわせた地域を現行の「高円寺北」と定めたのです。

なぜ、新住居表示時に4丁目と5丁目とが逆さまに表記されたのかまではわかりませんでしたが、新住居表示以前から高円寺に住んでいる世代の人にとって、現在の南4丁目が5丁目だったということはわかりました。「五丁目の盆踊り」という呼び方の中にも、高円寺の歴史が刻まれていたのですね。※「五丁目の盆踊り」は4丁目で行われますのでお間違えありませんように!

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2005年07月27日:気象神社に感謝!?

先週末は13年振りの大型地震。そして、昨晩は台風…と自然の驚異に溜息をつくも事なきを得て、これは気象神社たる雨の神様・晴れの神様、氷川神社のおかげかも! 手を合わせていました。ところが調べてみるとやや風向きが……

氷川神社の一角にある気象神社は、旧馬橋(現在の高円寺北)にあった旧陸軍気象部(航空隊の攻撃作戦などを左右する戦地の気象観測を担った専門部隊)の敷地内に建立されたもので、昭和23年現在の地に遷座されました。終戦から60年たつ現在でも年に一度、旧陸軍関係者が集まります。ただし、その日は8月15日の終戦記念日ではなく、6月1日の気象記念日だそうです。

実はこの日、旧陸軍関係者だけでなく、お天気キャスターなど天気業務の関係者や気象予報士の合格祈願者といった気象にまつわるたくさんの人々が訪れます。そう、そうなんです。実はこの気象神社「晴れを祈願するのではなく、天気予報の的中を願って」建立されたのだそうです。歴史の上から見れば納得ですが。子供の頃から信じてきた神様は台風と共に去ってしましました…;

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2005年04月11日:高円寺という地名の由来

高円寺と言う地名の由来は町の中心にある「宿鳳山高円寺」という曹洞宗のお寺が由来となっています。宿鳳山高円寺。曹洞宗のお寺です。 そもそも町が「高円寺」を名乗る以前は「小沢村」と呼ばれていました。江戸時代、徳川三代将軍家光が鷹狩りや遠乗り(!)などで、頻繁にこのお寺を訪れ、休息を取ったんだそうです。その後、いつしか「小沢村」と呼ばれていた村も寺の名前から「高円寺村」と呼ばれるようになり、今に至ります。

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2005年02月16日:夜店通り

パル商店街からルック商店街になる手前(桃園川よりも一本手前)を右に折れると、ビンテージもののスニーカーやSEIYU、旭川ラーメン、あまから亭(お好み焼きやたこやき、今川焼きなどを売ってるお店。因に、この店のご主人が立川談志さんに似ていると言うのは置いておき…)などの店が並ぶ

「エトワール通り」があります。この通りは、その昔「夜店通り」と呼ばれ、その名の通り夜になると露店が並び、人々が闊歩していました。先日の祝日、天気がよいこともあり高円寺の町はたくさんの若者でにぎわっていました。多くの店が古着屋へと姿を変え、歩く人が変わっても、高円寺に流れるまちの情景は変わらないのかもしれませんね。

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2004年12月29日:一足早い初詣

年を迎える準備や大掃除で忙しいこの時期に、なんと初雪! 寒い中、準備に追われていることと思いますが、高円寺ナビでは一足早い初詣話。初詣というと明治神宮や靖国神社などに参拝しに出かける人も多いと思います。が実は、高円寺にも古くから人々が信仰のよりどころとする二つの鎮守様があるのです。「原」の鎮守様と言われた、氷川神社と「通り」の鎮守様と呼ばれた天祖神社です。

氷川神社は高円寺南口より徒歩3分ほど。祭神は素盞鳴尊(すさのうのみこと)。中には気象神社が祭られ、阿波踊りの時に雨が降るのはこの神様のせいだという話もあります。そして、丸ノ内線東高円寺駅からは天祖神社。祭神は天照皇大御神です。高円寺には神社の他にもたくさんのお寺がありますが、それはまた別の機会に。

年末年始、忙しさを終えてお休みにはいると体調を崩す人が増えます。おいしいものをたくさん食べて、身体を崩さないように気をつけてくださいね。※食べ過ぎによる腹痛にも要注意です!

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