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2005年10月05日:中野-荻窪間に消えた駅

高円寺駅、阿佐ヶ谷駅、開業の1922年(大正11年)7月から溯ること2年と数ヶ月。当時、中野ー荻窪間に駅がなかったため、中間地点に住んでいた人々は延々と歩いて荻窪駅や中野駅まで行かなければなりませんでした。この不便さに意を決したのが、当時、馬橋村にいた浅賀源太郎氏でした。朝賀氏は鉄道省へ新駅誘致を陳惰し「将来、新駅開設の場合は、中野荻窪間4マイルの中間地点に駅を設置する」との内示を得ることに成功したのです。

ところがその二年後の1920年(大正9年)の春。鉄道省より「新駅用地提供願」の要請に、馬橋村の一部に新駅誘致反対者がでました。会合を重ねてみるものの駅の用地提供はまとまらず、新駅設置の情報は阿佐ヶ谷にいた相沢喜兵衛氏の耳に入ることとなりました。相沢氏は高円寺にいた伊藤兼吉氏等と共に運動を行い、高円寺駅と阿佐ヶ谷駅開設という先週の日記の顛末となるのです。

新駅設置の裏で幻となってしまった馬橋駅ですが…当時の人々の活躍がなければ高円寺駅も阿佐ヶ谷駅なかったかもしれません。中野駅まで歩いていたかと思うと…感謝してもしきれませんね。

| | コメント (4)


コメント

初めてカキコします。
一昨年まで叔母が高円寺北に住んでましたが、癌で亡くなりまして、現在は私のいとこがその遺志を次いで住んでます。
馬橋は、昭和40年あたりで消えてしまった町名ですね。
今はほとんど面影もないですよね。^±^
もし、高円寺と阿佐ヶ谷駅がなかったら、現在の町名も変わってたでしょうね。

コメント投稿者: てく&へー

コメント

てく&へーさん、こんにちわ。カキコありがとうございます。

馬橋の名前は昭和40年の新住居表示に消えてしまったので、もし大正11年に馬橋駅ができていたら今の高円寺北だけでなく、高円寺も阿佐谷も「馬橋」だったかもしれませんよね。となると七夕祭りも阿波踊りも、これほど大きなお祭りにはなっていなかったかもしれませんし、どちらか一つだったかもしれないないということもあったかもしれないですね。

年々と町並みが変わり、昔のことを御存知の方も減ってきました。形は消えても、語り継いでゆく限り町の心も人の心も消えないと信じたいです。最後になりましたが、叔母さまの御冥福をお祈りします。

コメント投稿者: 一ノ宮

コメント

はじめまして。
高円寺生まれの高円寺育ち。
現在は西荻在住のものです。

幻の馬橋駅は知りませんでした。
うちの実家からだと、高円寺駅でも馬橋駅でも距離一緒だったかも(^^)

コメント投稿者: 遥雲

コメント

遥雲さん、はじめまして。カキコありがとうございます。

遥雲さんのご実家はいづれの駅でも距離が一緒ということは…
高円寺と馬橋との中間地点なんですね。^^

私も高円寺ナビで日記を書くようになる前は、高円寺のことをほとんど知らなかったので、まだまだ知らない高円寺がたくさんありそうです。^^;

高円寺生まれの高円寺育ち。
地元民ならではの貴重な情報お待ちしております。笑。

コメント投稿者: 一ノ宮

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