Colomn 2 高円寺の著名人
ゴッホと高円寺
東京国立近代美術館で「ゴッホ展」が開催されていますが(2005年3月)、ゴッホが日本の浮世絵に興味を持っていたことはご存知でしたか?
ゴッホは 1886年5月号「パリ・イリュストレ誌」の表紙に掲載された浮世絵を模写したと言われています。しかし、その雑誌の表紙の写真が逆版になっていたため、ゴッホの絵もまた逆さまに描かかれてしまいました。
実は、その絵こそ江戸時代後期の浮世絵師、池田英泉の描いた「花魁」。英泉は俗称を善次郎。名を義信。あざなを混声といい、英泉になる以前は渓斎英泉と名乗っていました。英泉のお墓は、高円寺南2丁目福寿寺に祭られています。
中原中也と高円寺
今からちょうど80年前。1925年5月、中原中也は府下杉並町高円寺二四九(現在のルック商店街桃園側右手付近)に1年前より同棲していた3歳年上の長谷川泰子とともにやってきました。その転居のきっかけとなったのは一月前に出会い、生涯の親友となる小林秀雄でした。
しかし、この小林秀雄との出会いは、泰子との別れのきかっけともなってしまいます。
高円寺へ引っ越してから2ヶ月後、中原中也の留守中に訪ねてきた小林と話をした泰子は次第に小林に引かれ、数ヶ月後小林秀雄のもとへ去ってしまったのです。泰子が中也のもとを去る時「私は小林さんのところへ行く」というと中也は顔もみず「ふーん」と一言を発しただけだといいます。
その後、泰子が別の人のこどもを生んだ時、中也はその名付け親になり、1937年10月22日結核脳腫瘍でこの世を去る前、詩集『在りし日の歌』の編集では、清書を小林秀雄に託しています。僅か30年という人生の中で、中原中也が過ごした高円寺での1年は中原中也の心にどんな影響を与えたのでしょうか。
源頼朝と高円寺
2005年放送された大河ドラマ「義経」その主人公、源義経といえばチンギス・ハンになったという説もある悲劇のヒーローですが、その長兄は「1192つくろう(現在では1185と改められました)」でお馴染みの鎌倉幕府を開いた、源頼朝。
江戸名所図絵によれば、源頼朝が奥州征伐のとき武蔵国杉並の地に至り、随兵の中にいた村田兵部某が高円寺村にとどまったというような記録あります。村田姓といえば、高円寺の旧家で今でも高円寺周辺の地主さんに多い名字。
高円寺ナビ日記にも幾度か登場している氷川神社は、この村田兵部某氏が大宮市の氷川神社より分神して社殿を建立したとも言われています。また、頼朝が配流生活をしていた時からの近侍、足立藤九郎盛長が建立したという説もあります。
川端康成と高円寺
川端康成が高円寺にやってきたのは、大正15年(1926年)1月、伊豆の踊子を文芸時代に連載しはじめた翌年の昭和2年(1927年)4月、28 歳の時でした。高円寺に引っ越してきた当時の川端康成は、机さえなく、稿料代りに貰った桂の碁盤を机代りに使っていたそうです。
そんな川端康成に机を送ったのが、横光利一(大正12年菊池寛の推薦で発表した『日輪』が鬼才とまでいわしめた作家)です。この机については、川端康成自身が『文章』(昭和17、東峰書房)所収の「四つの机」に
「机は今四つある。四つのうちで一番古い花梨の机は、その由緒を裏側に刻みつけて置きたいほど、なつかしい記念物である。つまり、横光利一、池谷信三郎(『橋』)川端康成の三人の作家が、この机から出発したとも言へる、めでたい机である」と記しています。
また「私は高円寺、熱海、大森、上野桜木町と移り住む数年の間、この机で書いた。『文藝時代』の頃から『浅草紅団』の頃までである。」とも残されていますが、川端康成が高円寺にいたのは、僅か8ヶ月という短い間でした。
川端康成が住んでいたのは、杉並町馬橋二二六番地(現在:JR中央線高円寺駅南口から高円寺ルック商店街を青梅街道に向かって600m位歩き、新高円寺通りの交差点(薬局やさん)を右に曲がり、少し歩いたあたり)です。
偉人と高円寺
「日本人の好きな偉人best100」という番組でタイトルどおり、好きな偉人をランキング形式で紹介していました。
1位は織田信長
2位は坂本竜馬
3位はエジソン
「ああ、日本人が好きそうだなぁ」と思わず納得してしまう結果でした。中には、美空ひばりさんや尾崎豊さんといった歌手。太宰治や夏目漱石といったいわゆる文豪作家。田中角栄氏や吉田茂氏といった元内閣総理大臣の名もあがりました。
そこで(?)今週の日記は「日本人の好きな偉人」に便乗しー『高円寺の偉人』です(苦笑)※日本人の好きな偉人は故人限定でしたが、高円寺の偉人はご健在です! というわけで、問題です。私の頭に浮かんだ高円寺の偉人とは一体誰でしょう? わかるわけないじゃん。と諦めないで下さい。では特別にヒントを出しましょう! ヒントは、ねじめ正一さんではありません。笑。
..................さぁ、正解はわかりましたか?
uuun...これ以上の引き延ばしはムダなので発表いたしましょう!
その人の名はー出久根達郎[デクネタツロウ]氏です。
出久根達郎氏は、1944年、茨城県に生まれ、古書店勤務を経て、1973年高円寺に古書店「芳雅堂」を開きました。古書店経営の傍ら執筆活動を始め、92年に『本のお口よごしですが』で第八回講談社エッセイ賞を受賞。翌1993年に『佃島ふたり書房』で第108回直木賞を受賞。そして、2004年には「昔をたずねて今を知る 読売新聞で読む明治」で大衆文学研究賞特別賞しています。
偉人と呼ばれる人には思わずうなってしまうようなエピソードや名言があるものですが、古書店の店主という日々の顔を持つ出久根達郎氏にはこんなエピソードがあります。
ある日「芳雅堂」に一人の男がふらりと入ってきた。男は1冊の本を見つけ、たいそう驚いた。今までに幾度となく探し歩いた本が、目の前にあったからである。男は店主にその本を買う約束をして帰っていった。ところがその男は本を買うことなく帰郷してしまった。3年後、その男が現われたとき店主は男が予約した本をその男に愚痴一つ言わず渡した。買い来るかこないかわからない男の為に、売れるかも知れない本をとっておき、当時の価格で販売したのである。(実話です)
偉人と呼ばれる人だけでなく、本当は、誰にでも一つくらい素晴らしい名言やエピソードがあるものです。ただ、それを聞く機会が少ないのですよね...。この人こそ「高円寺の偉人!」という人がいたらぜひ教えて下さいね。









